自分が満たされていなくてどうして人の幸せを願えよう。
笑顔でいなくて、どうして社会貢献ができよう。
社会貢献しようと言いながら、体調はいまひとつ。
仕事が生きがいといいつつ、顔は怒っている。
今から思えば滑稽だ。以前の私。
何かしなきゃ、何かしてない私は生きていく価値がない。
だから必死で生きていた。
子どもも生まなかった自分は人一倍働いて、社会貢献しなくては。
絶えず自分を許さなかった。
今の夫が、すべて私のいいようにしてくれることに苛立っていた。
そんなに甘やかさないで!自分がダメになるじゃない。
そして病気が悪化し、仕事を手放すことに。夫を実は夫のせいでこうなった
とつい半年前まで思っていた。
すごく体が快適になり、思考も非常に軽やかになり、
いちいち物事を大げさに思わなくなり、人の都合を配慮できる心の余裕も生まれ、待つことの意味を知り、
「何かしなきゃ」はある意味、病的思考だと今なら感じる。
だから、笑顔でいられない限り、社会貢献などできない。
自分が満たされていなければ人の幸せなど願うことなどできない。
苦しんで人を幸せにできない。
何をしなくても、笑顔でいること、ごきげんでいることのほうが
どれだけ人を笑顔にし、幸せにできることか
今自分がそうなって初めてわかったこと。
夫は、私が元気になって、いつも笑ってるねと嬉しそう、幸せそう。
こういうことなんだ、自分がしあわせにならないと人をしあわせにできない
ということは。
だから世界を変えようなどと、今は力んでいません。