Feb 1, 2021
こんにちは冨永のむ子です。
この地上での、
「本当の自分」「ありのままの自分」
それは別に聖人君子や天使や女神のように
清廉潔白な立派な存在というわけではありません。
むしろ反対。
人間らしい悲喜こもごもを体験しながら、
それでも、ありたい自分で生きようとあえぐこと。
生き下手でいい。
喜怒哀楽もあっていい。
その喜怒哀楽も含めて自分の表現だから。
それらすべてを含めて、
本当の、ありのままの姿だし、
そして実は
その姿を差し出すことが地上での計画。
だから、
そうやってあえぐ自分を認めオッケイが出せると、
あえぎあがく一方で、
ものすごくラクになるはず。
あえぐことすら、楽しめるようになる(M?)。
外に求めようとしたり、
自分以外の何かになろうとするのでもなく、
自分にとって自然で当たり前な
【普通でそして特別な自分】を楽しめるようになるのです。
そうやって自分を普通に差し出すことが、
本願・・・魂がこの地上で最もしたいこと。
その、
最もありたい普通で特別の自分が、
どういう存在なのか、がわからなくなって人はぶれるんだけど、
私がお伝えしているパーソナルクレドは、
その自分を言語化したもの、
潜在意識の中に誰もがもっている命の計画で・・。
私の中からそれが解放された時のこと、
このできごとが起きた直前、
病気の長男と真っ暗な部屋に引きこもり泣き暮らしていた1年くらいの期間が
私にとっての人生の転換期。
精神的にも物理的にも、
まさにStayhome Stay myselfを余儀なくされた時間。
本当に大切な時間だったとあらためて思うと同時に、
その経験を通してわかったことは、
明けない夜はないってことかな。
そして、それとセットで、
しっかりと目を覚ますためにも、深く寝静まる夜が必要だってことでした。
コロナウイルスによって、
立ち止まる時間を余儀なくされた人にとって、
そろそろ夜が明ける時期なんじゃないかなと。
夜明けと同時に・・・浮き彫りなった本音が白日の日にさらされていきます。
ここから自分がどうあるか、
どうありたいか、本当に大切なことを大切に、できるか。
自分そのもので生きられるか・・。
要は自分の神話で生きるか否か、が問われています。
ただし、恐らく殆どの人は、
自分を生きたい、と願いつつも、
その願いよりも
「人から否定されたくない」とか、「人から賞賛を浴びたい」というエゴの願いの方が優勢です。
そちらが優勢である以上天はその通りするしかありません。
世間の神話に囚われると本当の自分をしまいこみ、
地位や肩書や所属先といった、
外側にあるものを鎧のように身にまとうしかありません。
そして人は誰もが自分が望んだ通りの現実を必ず引き寄せるから・・・。
地位や肩書や物質的な豊かさに頼るなら、それなしでいられない現実を引き寄せます。
無理矢理飾り立てれば飾りたてるほど、無理して飾り立て続ける現実を引き寄せます。
でも、
人類全体がその方向に進み過ぎたがゆえに、今こうしてストップがかかったわけなので・・・。
このタイミングで目覚めつつある方は、
その自分で生きるって決めるべし! ですぜひ。
そしてこの地上は行動の星だから、
まずは行動から入ることが一番エネルギーを動かすんですね。
何より私のおススメはありたい自分を潔く世界に宣言すること。
有言実行ってやつね。
こそこそせず堂々と、私はこうやって生きますんでよろしく!
って言われたら、
そうそう反対できないし、
天はよしきた!と応援してくれます。
何よりも
「この自分で行かせていただきます!」と掲げるほど、
自分を奮い立たせることはないしね。
だから個人的には、全ての人が、パーソナルクレド解放して、
水戸黄門の印籠(知ってる?)のように、
それを掲げてしまえば次元上昇も一気に進むのになと思ったりします。
霊的な成長のプロセスで、天に使ってもらえるかどうかの
決め手となるのは「正直さ」。
正直さ、は二つの方向に対して。
ひとつは自分に対して。
そして世界に対して。
この二つがセット。
なぜ正直さが天命を生きる決め手かというと、
正直であることは、
能力うんぬんではなく意志によるもの。
本人の制御が可能だから。
例えば、悲しみや恐怖といった感情は、
自然に湧いてくる。
制御不可能です。
でも、正直であるかどうかは必ず行動が伴うもの。
すべて本人しだいです。
つまり、
おてんとうさまに恥じない生き方をするかどうかは自分で選べるのです。
能力差ではなく、カルマやトラウマでもなく、
今の自分が決心するかしないか、とてもシンプルです。
「天は自ら助くる者を助く」という言葉の意味はそういうこと。
私たちは神さまの操り人形ではないのです。
天命を果たす時ですら、自らの意志が尊重される。
だから、私のおススメは、
本当の自分であり続ける意志を示すこと。
自分を差し出すという【行動】を通して、
エゴ<魂 の流れに切り替えてしまいましょ、ってことです。
それを実現した方のお一人が、
熊本県で保育園の園長先生をしていらっしゃる、
あっこちゃんこと、いわながあきこさん。
彼女の園のコンセプトメイキングをサポートさせていただいた記事を
読まれた方もいらっしゃるかもしれません。
私のままでいて大丈夫~ココロの根っこを育てる保育園を作るために。
あっこちゃんは、
私がただ自分を差し出そうよって提案をしたら、
パーソナルクレドを世界に解放しろって自分のシンボルに言われたそうで・・・
彼女曰く「恐れと大事なものを隠しときたいクセ」も湧いたそうですが、
「シンボルが教えてくれたことだから大丈夫だから飛び込んでみようと思いました」と・・・・。
世界に自分自身を解放した際に私にこんなメッセージをくれました。
起業家版神話塾の学びでは
自分がこれまで上手に誤魔化してきたものや、
隠してきたものを越えて差し出す必要があるんだなー。
って感じています。
そうなんですよね。
天命でビジネスをしようと思うなら、
普通の人以上に自分の差し出しっぷりが問われます。
取り繕ってはいられないところに追い込まれます。
だってネット上でどんなに聖人君子のふりをしていたって、キラキラぶったって
生活が立ち行かなくなるんだもの。
承認欲求やプライドを打ち捨てて、地べたを這いつくばる必要があります。
だから、その覚悟がないなら、しんどいだけかもしれません。
自分らしく輝こう神話が蔓延し、世間はここ数年、起業ブーム。
でも、今回のコロナでその大変さも露わになったのでは・・。
だから生半可な気持ちなら辞めておいた方がいいと思います。
キラキラしたいなら、起業家ごっこで十分。
でも、
その一方で、
本気で天命を果たす場所に、自分を追いこむ覚悟がある方には、時代は追い風です。
世界全体で「聖別」が起きているから・・・。
世間からどんなにありえない、と言われたととしても、あなたがありえる!と信じたら必ず道はある。
奇跡は起こります。
私たちの事業、立ち上がるまでにどんだけ世間のビジネスパーソンに、ありえない、と失笑されたかわかりません。
でも、ありえたし!(笑)
そして、失笑したビジネスパーソンよりも、
ずっと自由で、犠牲にするものが一つもない毎日を過ごしています。
それは世間の神話ではなく、自分たちの神話に従ったから。
私たちが特別なわけではないよ。
私たちにできることは誰にでもできることでもあります。
必要なのは勇気と覚悟かな。
勇気は天への信頼度合いのバロメーターでもあるし、
覚悟して素手で飛び込んでみてはじめて、自分の背中に翼が生えていることがわかるから・・・
そして勇気も覚悟も、出したら出した分、自分に全部返って来ます。
天の応援半端なくなるから!
自分を差し出して本当によかった!と心から思えるようになるはずです。必ず!
・・チャレンジしてみたい、
と本気で覚悟ができる方、天命で事業を果たしましょう。
起業家版自分の神話塾でお待ちしています。
あなたやご家族の生活がかかっているだけに、こちらも真剣です。
だからどうかプライドすてて、地べたを這いつくばる覚悟でおいでください。
自我を超えた先にいる自分が猛烈に楽しみ!
そんなふうに思えるあなたのステージアップ、全力でサポートいたします。
おまちしています!