Dec 24, 2020
伝えたいことがあるなら、
湧き上がる想いがあるなら、
あなたはただただひたすら、
その想いを放ち続けよう。
あなたが放つ想いは、
闇を切り裂き光を放つ灯台のように、
大切な人を救い導くだろう。
荒波を漕ぎ出す船に、一筋の光を、
進むべき水先を、
まっすぐに差し示すことになるだろう。
導こう、照らそう、と気張らなくていい。
ただただ想いを解き放てばそれでいい。
照らそう照らそうと必死にならずとも、
導こう導こうと焦らずとも、
あなたが投げた光が届く範囲は、
大いなる宇宙の摂理によって既に決まっているから。
その摂理に従って、照らされるべき人が受け取り、
導かれる人が自然に導かれるだけだ。
それらは、すべては天のさいはい。
起こるべくして起こること。
だから、
無理やり光を大きくしようとしない。
無理やり小さく抑え込まない。
光はただあなたの中を通り過ぎるだけだ。
あなたはただただ、
あなたを通してそれを差し出すだけ。
過不足ないように務めよ、
完璧な調和をはかれ。
他人の言うなりにならず、内なる答に従えば、
宇宙の均衡を保たれ、天命に導かれていく。
晴れの日は、健やかにのびやかに、
嵐の夜には、たんたんと、光を放つだけ。
荒れ狂う風や波と闘う必要などない。
光はすべてを凌駕するから。
あらゆるものを透明に照らすから。
力ずくでなくていい、
ただひたすら、
まっすぐに伸びていくだけでいい。
思い切り、おおらかに、のびやかに、
そしてたんたんと、
自然に心地よくあるよう努めよ。
あなたがそうあろうと決めたら、
その通りにことがすすみはじめる。
あなたが放った光は自然に必要な人々に届く。
その光が自然に、人々を照らし、勇気づけ、
彼らの中でやがて前に進む勇気にかわる日が来る。
そしてそうしている限り、
あなたという人間の、
存在を脅かすものはなにもないのだから。
・・・・・・
こんにちは冨永のむ子です。
大きな時代の転換期。
小さくなるな、
大きく見せようともするな、
そのまんま差し出せ、
とますます言われている感覚があります。
どれだけ自分をそのまま差し出せるかゲームが
本格化している。
自分を思い切り差し出したら
とてもとても快適になれる。
すべてはうまくいき猛烈に満たされる、
物質的にも精神的にも。
でもその一方で、そこに振り切る前は、
小さくなっている方が
ラクかもしれません。
長い歴史の中で
特に日本人は長いものに巻かれ続けて来た。
小さくなって誰かに支配され
依存する生き方をしてきた人が殆どだから、
その癖に気づき見直すには
それなりの努力が必要です。
内なる答に従って、
自分の神話を生きるより、
世間の神話を何も考えずに
鵜呑みにしている方が、
波風も立たず
努力もせずにすんだ。
あるいは、
自分だけが抜きん出よう、
人を踏み台にしてでものし上がろうとすれば、
努力をしない群衆のエネルギーを
ごっそり奪えて、
それはそれで見返りがあった。
純粋な命の在り方とは、
ずれているとしても、
いずれも
これまではそれなりに
なんとかやり過ごせて来れた。
でも、
そういう時代が
終わりかけているのはお気づきですよね。
終わりは始まりです。
今のこの混乱は、
本当の意味で豊かな時代のはじまりでもある。
それぞれが良心に従って生きても大丈夫な時代というか、
すべての命が等しく輝く時代というか。
・・もう少し現実的な言い方で言うと、
それは、自分が家族とか体とか、
そして自分の良心・・本当の気持ちといった、
見えるものも見えないものも
自分にとって
本当に大切なものを大切にしても
犠牲になるものが
一切なくなる時代ということです。
過去には例えば、
正義を貫こうとする人は村八分を受けたり、
人道的なミッションを果たすためには、
家族や命が犠牲になるような時代もありました。
でも、時代が本当に変わっていくのです。
私たちしだいで。あなたしだいで!
大切なことを何ひとつ犠牲にすることなく、
本当に魂のミッションを果たせる時代が
もう間もなくやって来るんです!
なんてありがたい時代を
生きているんでしょうね、私たちは。
ただし・・・。
それは私たちひとりひとりしだい。
当然ながらあなたしだい。
他人任せを辞めること。
ひとりひとりが、
たんたんと自分を差し出すことが必要です。
まずは差し出す練習からかな。
自分が本当に大切なものを、
「私はこれが大切!」と
堂々としていられることが必要だし、
その理由や想いを説明することも必要だし、
そんな自分への
他者からの評価や反応に対して
湧いてくる自分の感情のケアも必要です。
そうやって
エネルギーのベクトルを完全に外に向けられるよう、
その前に、しっかりと自分の内側に向かい、
自分の中の本当の答に気づくことも必要。
まあ、要するに、
ぼーっと生きてんじゃねーよ、ってことだし、
人の顔色うかがってんじゃねーよってことですよね。
自分の頭で考え、自分の心で捉え、
自分の肚で受け取る・・・。
そして、
そんな自分を堂々とたんたんと世界に差し出す。
当たり前と言えば当たり前ですが、
平和な時間が長かったゆえに、
それをしないでも
なんとかなってきてしまったんでしょうね・・。
そうやって、
自分の魂の声から動くことを、
長い間してこなかったとしたら、
それをすることは、
はじめは嵐の海を漕ぎ出すような感覚かもしれません。
時には荒波が襲い掛かってくるような
気がするかもしれないのですが・・・。
でも、
光は荒波や暴風雨の影響を一切受けません。
雨も風もすべて素通し。
ただただまっすぐなだけ。
魂の光も実は同じ。
その存在を脅かすものは何一つないのです。
だから雑音や波風に、
本当のあなたは、一切動じでいないんですよね。
一見動じているようで、実はその感覚の方が幻、
自分が作り出しているだけ。
すべての人間は光の存在。
だから放つべき光・・(伝えたい想いやありたい姿)は
だれもがが必ず持っています。
でも雲が光をさえぎるように、
うっかりすると心の曇り(エゴ)によって光を見失い、
自分で勝手にぶれていってしまう。
・・・でも、
ぶれたら立ち戻ればいいだけ。
ぶれたら、立ち止まる、
ぶれたら立ち止まる、
その繰り返しも練習。
それに
頑なに自分の軸にしがみついているよりも、
アイドリングが大事です。
快晴の真っ青な空も美しいけれど、
雲がある空の表情も豊かですよね。
喜怒哀楽を味わうことも、人間の特権。
その上で、自分の中心にある、
自分だけの答から離れされしなければ大丈夫。
ぶれてそっちに流れて空中分解しさえしなければ・・・。
大きな転換期の今、
どうぞ自分のゆらぎも観察してあげてください。
そして自分の中の答に従って、
今の自分のまんま、
思い切り腕を伸ばし、想いを解き放とう!
そうしたら
大切なものを何ひとつ犠牲にすることなく、
本当の願いはすべて自然に実現していくのです。
時にぐらぐらぶれたり、
心の曇りに打ちのめされる日もあっていい。
それ自体も楽しみながら、
しなやかにたくましく変容に向かっていきましょう。
というわけで今日はこのへんで。
お読みくださってありがとうございます。
感謝をこめて。
冨永のむ子